悲報!!昭和の名女優「八千草薫」さん死去。

「宮本武蔵」「ディア・ドクター」などの映画や「岸辺のアルバム」をはじめとする名作ドラマに出演した女優の八千草薫(やちぐさ・かおる、本名谷口瞳=たにぐち・ひとみ)さんが24日、午前7時45分、膵臓(すいぞう)がんのため死去したことが分かった。
88歳。大阪府出身。葬儀・告別式は近親者で行った。

 

昭和を代表する名女優が1人、令和が始まった年に静かに逝った。
昨年2月9日に所属事務所の公式サイトで、18年1月に膵臓(すいぞう)がんの手術を受け、19年に入って肝臓にもがんが見つかり、闘病中であることを公表していた。

 

八千草さんは2017年春に乳がんが発見されてがん闘病が始まり、病を伏せて仕事を続けたが、すい臓から肝臓に転移した今年2月、がんであることを公表。
療養に専念するため、テレビ朝日系「やすらぎの刻~道」のヒロイン役を降板し、治療に専念していた。
健康管理には人一倍、注意し、70年余りの女優人生で病気で長期休んだのは、このときが最初だった。
がんを公表した際、88歳の高齢ながら「体調を整えまして、より一層楽しんで頂ける作品に参加出来るよう、帰って参ります。どうかお許し下さいませ」と復帰に強い意欲をにじませていたが、力尽きた。

 

可憐な外見からは想像できない強靱な精神力の持ち主。
がんの宣告を受けても、動揺はほとんど見せず冷静で病状も細かく理解。
「いま私にできることを尽くし、より1日を丁寧に過ごしたい」と生きる姿勢に変わりはなかった。
人生の密度は逆に濃密なものとなっていたという。

 

19年5月末には、千葉で行われた自ら理事を務める生態系協会の催しに出席。
炎天下の中で「自然は見るものだけではありません。
生き物が増えることを考えると、自然の中に入って楽しんで欲しい」とはっきりした口調であいさつ。
足取りも力強かった。

 

遺志に沿ってこの日、少数の親しい関係者が集まる中、荼毘(だび)に付された。
本人の希望により、お別れの会も開かれないという。
関係者によると、亡くなる約2時間前まで、意識はしっかりしていたという。
24日、午前6時ごろに看護士が朝の検診で病室へ。
「変わったことは特にないわ」などと穏やかな会話が交わされ後、しばらくして、容体が急変。
7時45分に帰らぬ人となった。

 

八千草さんの芸能人生は荒れ果てた戦後、華やかな宝塚歌劇の舞台で始まった。
清純でかれんな娘役として注目。

1947年に宝塚歌劇団に入団。
1951年に「宝塚夫人」で映画デビュー。
1952年の「源氏物語」で若紫を見事に演じて評判を呼んだ。
映画専科に所属して外部出演も数多くこなし、ヒロインお通を演じた54年の「宮本武蔵」(監督稲垣浩)が米アカデミー賞で名誉賞(外国語映画賞)を受賞するなど海外にもその名がとどろき、1955年公開の日伊合作の「蝶々夫人」(監督カルミネ・ガローネ)で主役の蝶々さん役に起用された。

1956年「乱菊物語」で谷口千吉監督と出会い結婚を決め、惜しまれながら退団。
歌劇団卒業後も、八千草さんの魅力は舞台にドラマに引っ張りだこに。

宝塚を1957年に退団して本格的に映像の世界に進出。
「花の生涯」(63年)「独眼竜政宗」(87年)などのNHK大河ドラマで活躍。
おっとりした良妻賢母のイメージが強かったが、77年の「岸辺のアルバム」で浮気をする主婦役を好演し、ドラマの代表作とした。

宝塚を退団した57年に20歳近くも年上の映画監督、谷口千吉氏と結婚して話題を呼んだ。
谷口監督が再々婚とあって周囲からは反対の声が渦巻いたが、めげずにゴールイン。
おしどり夫婦として知られ、谷口監督が亡くなる07年まで50年間を連れ添った。

子どもはいなかったが、長年にわたり「理想のお母さん」として親しまれた。
さまざまな役で人の心を揺さぶり、癒やし続けた。日本の芸能界に欠かすことのできない名女優の一人だった。

息長く活躍し、03年に毎日映画コンクールで田中絹代賞、09年には「ディア・ドクター」で女優助演賞を獲得した。

82歳だった13年には詩人の柴田トヨの生涯を描いた映画「くじけないで」に主演するなど元気に生活。
「犬の散歩で歩くこと」を健康の秘訣と明かしていた。
「優しい時間」(世界文化社、99年)「あなただけの、咲き方で」(幻冬舎、15年)などの著書がある。
97年紫綬褒章。