田原俊彦はなぜジャニーズ事務所から独立したのか?!


芸能史に残る大きな謎の1つ──。
田原俊彦のジャニーズ事務所独立は、そう捉えられることもある。

1970年代後半、苦境に陥っていた同事務所を救ったのは“たのきんトリオ”だった。
1979年、ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)に生徒役で出演した田原俊彦、近藤真彦、野村義男の3人が大人気に。
1980年6月に田原が『哀愁でいと』、12月に近藤が『スニーカーぶる~す』でレコードデビューし、大ヒットを飛ばす。

以降、現在に至るまでジャニーズ事務所の隆盛は続いている。
著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)で、事細かな取材や膨大な資料から分析している芸能研究家の岡野誠氏が、田原独立の謎に迫った。

「あのまま残っていたら、今の田原はないですから」

8月25日、町田市民ホールを皮切りに田原俊彦が毎年恒例のコンサートツアーを開始した。
その初日、MCで「39年コンサートに来ている人!」と会場に聞き、「最初は久保講堂だった」と振り返った後、実感を込めてそう言った。

この言葉は、何を意味するのか──。

田原はテレビでも雑誌のインタビューでも、再三再四にわたってジャニーズ事務所へ感謝の意を述べている。
自伝『職業=田原俊彦』(KKロングセラーズ)でも〈いつもジャニーさんの「作品」として田原俊彦という僕があり、事務所に所属していた時に様々な経験を積ませてもらったお陰で、今があるということを忘れることはない〉と綴っている。

冒頭の発言は、決して古巣を否定したものではない。

一般的に考えれば、田原俊彦は1994年のジャニーズ事務所独立以降、苦境に陥ったように見える。

同年2月17日の長女誕生記者会見の際に冗談のつもりで発した「僕くらいビッグになると」という言い回しが切り取られ、マスコミにバッシングされた。
会見当初『ビッグ』という言葉は、ほとんど話題になっていなかった。
しかし、3月1日に事務所を独立すると後ろ盾を失ったためか、冗談に過ぎなかった言葉は『ビッグ発言』と仰々しく報道され、急に傲慢だと叩かれ始めた。

田原のイメージは急落し、ジャニーズ時代に年間20本以上あったコンサートは独立翌年には東京・大阪・名古屋の3か所に絞られた。
ライブ集客の減少は、ジャニーズ事務所独立とマスコミのバッシングが原因と考えられている。

だが、その2つだけが理由とは言い切れない。
ファン層の一群を形成する1960年代後半生まれの女性が子育てに奔走していた時期とも重なるからだ。

2010年代に入ってから、田原のライブ本数は増え、会場のキャパシティも広くなった。
東京開催は2000年代Zeep Tokyo(椅子使用1200人収容)だったが、2011年以降中野サンプラザ(2222名収容)になっている。

2011年の『爆報!THEフライデー』(TBS系)のビッグ発言検証放送によって誤解が解けたのも大きいが、ファンに話を聞くと、子育てを終えて再びライブに足を運ぶようになったケースも頻繁にあるようだ。

人は得てして、センセーショナルな言葉や出来事に目を奪われがちだが、問題は何事ももっと身近なところにあるのではないか。
冷静に状況を分析すると、違う答えが導き出せることもある。

「あのまま残っていたら、今の田原はないですから」──田原俊彦はこう言った。
私には、この言葉が強がりに聞こえなかった。

考えてみれば、田原とともに1980年代の歌謡界を盛り上げた少年隊は、現在もジャニーズ事務所に所属しているが、2006年の『想 SOH』を最後にもう12年もシングルが発売されていない。
この曲が出るまでにも、5年ものブランクがあった。

2015年、記念すべき少年隊30周年の年も3人での活動はなかった。
これが本人たちの意志なのか、事務所の方針なのかはわからないが、ジャニーズの歴史を振り返る上で、歌って踊れる少年隊は間違いなくジャニー喜多川氏の理想のグループだった。

その彼らが解散していないのに、主だった活動をしていないことは残念でならない。

田原は独立理由について、前出の自伝で
〈僕は基本的にジャニーズ事務所はティーンエイジャーのための会社であるべきだと、思っている〉、
〈もし、僕があのまま事務所に残った場合、どうなっていただろうと考えることがある。
現役を引退して後輩を指導したり、管理職的な立場になったりということもあるかもしれないが、そういう考えにはなれなかったのだ〉
と述べている。

実際、創業当初から1990年代までのジャニーズ事務所で30歳を超えたタレントはほとんど存在しなかった。
田原の言うように10代、20代前半の男性が中心だったのだ。

また、昨今のジャニーズ事務所を見れば、53歳の錦織一清は舞台演出をしているし、36歳の滝沢秀明は『タッキー&翼』を解散し、年内で芸能界を引退。
ジャニー喜多川氏の後を受け継いで育成とプロデュース業に専念すると発表された。

当時の状況、現在の事務所の動向を考えると、田原俊彦の独立は自然な選択だったように思える。

もし田原がジャニーズ事務所に今も残っていたら、現在のように毎年シングルを発売し、コンサート、ディナーショーというファンに会える機会を作れていたかどうか、大いに疑問が残る。
ステージに立てなければ、57歳になってもライブで2時間歌って踊り続け、当時の曲を当時のまま再現できるアイドル性を保てていたか。

歴史に“もし”はない。
周囲は「ジャニーズ事務所に残っていれば……」と勝手な妄想をしてしまうが、田原俊彦の気持ちや置かれた状況は田原俊彦にしかわからない。

1人の男は自ら下した決断に、キッパリと「あのまま残っていたら、今の田原はない」と言い切った。
それが、全ての答えである。