香取慎吾が萩本欽一との対談で語った”一緒に仕事していきたい人”とは?!


〈「あの人」と一緒に仕事していきたいという僕の思いが、あの二人にも強くあった。〉

昨日27日発売の「週刊文春」(文藝春秋)2018年1月4日・11日新年特大号で、香取慎吾が登場し、欽ちゃんこと萩本欽一との思い出、独立をめぐる思い、SMAPメンバーとの関係、そしてSMAP育ての親である飯島三智マネージャーに対する強い思いを語っている。

「週刊文春」といえば、これまで数々のSMAPのスキャンダルを報じてきたのはもちろんのこと、何より、メリー喜多川副社長が飯島マネージャーに対し「SMAPを連れて出て行け!」と公開パワハラ説教を行い、SMAP分裂騒動のきっかけをつくった存在である。

そんな因縁の週刊誌に香取が初登場しただけでも驚きだが、これまで公に語ることのなかった飯島氏に対する思いまで明かしているのだ。

香取が登場したのは、同誌で「欽ちゃん76歳のボケないキャンパス珍道中」を連載中の萩本欽一との対談。
萩本といえば、「慎吾が出ないのなら、僕も出ません!」と『全日本仮装大賞』(日本テレビ)の香取続投を訴えたり、『72時間ホンネテレビ』に萩本の所属事務所・浅井企画の芸人たちが全面協力するなど、独立以降香取らの活動をバックアップしてきたひとりだ。
今回の対談も「ぼくは今回、読んだ人がみんな、慎吾の味方になってくれるような対談にしたいと思って臨んだ」という。

飯島氏の話は、そんな欽ちゃんが、香取のレギュラー番組『おじゃMAP!!』(フジテレビ)にゲスト出演したときのエピソードから出てきたものだった。
欽ちゃんは番組で「その人のために頑張れる、という人はいるの?」と質問したとき、香取が「いる」と即答したことを振り返り、「それはどんな人なの?」「慎吾が、そこまで思う人ってのは、どんな人なのかな」とあらためて質問。

すると、香取はこう答えたのだ。

「上手く言えないですけれど……言葉が見つからないくらいに、「この人と一緒に仕事をしたい」と思っている人です。」
「例えば、僕が「AとB、どっちを選べばいいですか?」と訊いて、その人が「A」と言えば、「オッケー。あなたが言うならAで」と、ずっとやってきたんです。
僕にとっては、そういう風に信じられる人、ということですね」

欽ちゃんは、「そうか。あえてそれが誰なのかは聞かないし、ここで名前を言う必要はないよ」とそれ以上掘り下げなかったが、これがSMAP育ての親である飯島マネージャーのことを指しているのは明らかだった。

分裂騒動以降、香取の飯島氏に対する信頼についてはたびたび報じられてきたが、こんなふうに香取自身が飯島氏への思いを語るのは初めてだろう

しかも、香取は、こうした飯島氏への強い思いが、稲垣吾郎、草なぎ剛にも共通してあったと明かしている。

「実は、僕の方から彼らに「一緒にやろうぜ」と言ったわけではないんです。
「あの人」と一緒に仕事していきたいという僕の思いが、あの二人にも同じように強くあった。
三人の思う場所が一緒だったから、「じゃあ一緒にやろう」となったんです」

たしかに、稲垣も「GQ JAPAN」(コンデナスト・ジャパン)2018年1・2月合併号のロングインタビューで、迷いながらも独立を決断した理由についてこんなふうに語っていた。

「もちろん揺れ動く部分も多かったですし。
ただやっぱり絶対に捨ててはいけないものというのがあって、それはこの人とやりたいとか、このスタッフと一生やっていきたいとか、そういうことですね」

ようするに、3人は飯島氏と仕事がしたい、ただその一点を理由に、リスクをおかして、ジャニーズ事務所からの独立に踏み切ったということらしいのだ。

想像以上の深い絆だが、しかし彼らにしてみれば、これは当然の選択だったのかもしれない。

SMAPが旧来のアイドルを超えた国民的存在になったのは、まさに飯島氏のプロデュースによるものだった。
ジャニーズ事務所から見捨てられた存在だった5人の才能を見出し、司会者にキャスター、バラエティ、脇役や性格俳優でのドラマ出演、アーティストとのコラボレーションなど、それまでのジャニーズタレントが絶対やらないような挑戦を次々やらせ、アイドルのありように革命をもたらした。
現在、ジャニーズ事務所のタレントがこれだけ活躍できているのも、彼女とSMAPが新しいマーケットを切り開いた結果だ。

香取は飯島氏を“その人が「A」と言えば、「オッケー。あなたが言うならAで」”と語っているが、飯島氏は彼らに正解以上の「A」を与え続けてきたのだ。
3人がリスクをおかしてでももう一度飯島氏と仕事をしたいと考えたのは、浪花節的なものではなく、そのプロデュースへの絶対的信頼感が大きかったのではないだろうか。

そして、飯島氏は実際に3人の期待に応えてみせた。
2トップと呼ばれた人気メンバーがいない、地上波で取り上げてもらえない、共演者が限定される、SMAPの歌が歌えない……いくつもの不利な条件を抱えていた3人だが、そんなことをものともせず、SMAPの始まりの頃のように、次々と新しいチャレンジをやらせることで、そのブランドイメージをむしろ分裂騒動以前より高めていった。

『新しい地図』と名乗るサイトのいきなりの開設。
AbemaTVでの『72時間ホンネテレビ』放送、SNSへの挑戦。
ネットという新しい世界でゲリラ的に活動する一方、サントリーというナショナルクライアントのCMを新たに獲得したり、パラリンピックサポーターというメジャー感のある仕事もおさえる。
これまでジャニーズに限らず大手事務所を独立したタレントたちのように芸能界のしがらみに阻まれて難しいだろうと思われた歌や映画も自力でプロジェクトを立ち上げようとしている。

とくに印象的だったのが『72時間ホンネテレビ』だ。
年下キャラで内向的だった香取が、数々のアイデアを打ち出し2人を引っ張り、この対談の欽ちゃんもそうだが手をさしのべてくれる共演者たちに積極的にからんでいく。
5人のなかで埋没しがちだった稲垣が、香取・草なぎの年下仲良しコンビをさりげなく守る姿や、クールなイメージを破って生の感情をさらけ出す姿。
まるで解散騒動などなかったかのような草なぎの天然で自由奔放な言動。
かつてのSMAPにあった自由な空気を再現しながら、3人の新しい魅力を見事に引き出した。

こうした活動については、保守的な芸能関係者やジャニーズファンの間から「安売り」だとか「ネットの視聴者数なんてたいしたことがない」などといった揶揄の声も出ているが、飯島氏と3人はこれからも意に介することなく、さらに新しいチャレンジを続けていくようだ。
最近も、園子温、爆笑問題の太田光らを監督にする映画の製作が発表され、業界を驚かせた。

その姿はそれこそ20数年前、飯島氏のプロデュースによって次々と新しいことにチャレンジしていたSMAPの姿に重なって見える。

2016年1月15日、『SMAP×SMAP』でのあの公開生謝罪の夜、本サイトは「SMAPは死んだ」と書いたが、あのとき止まったSMAPの時計は、飯島氏と3人によって再び動き始めたといってもいいかもしれない。

いや、3人だけではない。
対談のなかで香取は、飯島氏への思いだけでなく、中居正広、木村拓哉についても、踏み込んで語っている。
欽ちゃんから「SMAPが慎吾の学校だったとも言えるけど、一番年下の慎吾からみて、メンバーは「先輩」という意識? それとも「仲間」?」と問われた香取は、こう答えた。

「うーん。どっちでもないですね。強いて言えば「お兄ちゃん」という表現が近いかなァ。
いちばん上の人たちとは、五歳離れていましたから」
「だから、みんなのことは好きなんだけれど、嫌なことがあれば「ふッざけんな!」と素直に言えるような関係でしたね」

「いちばん上の人たち」というのは、言うまでもなく中居正広、木村拓哉のことだ。
先輩というようなかしこまった関係でなく、何でも言い合えるもっと近い存在であったと、騒動をめぐるわだかまりを経たいまも、素直に語っている。

そしてSMAPの関係性については、常に変化してきたものであると語る。

「僕らの関係はとても不思議で、中学生の頃は学校の延長みたいだったのが、ちょっと年齢を重ねるとお互いを意識し合って会話をしなくなり、またしばらく経つと、気づいたら喋るようになっている……ということを繰り返してきました」

「だから、ふと気づくと彼とは二年くらい一言も喋ってなかったな、とか、別の彼とは「おはよう」も言わない時期があったのに今は話しているな、とか。その中で、みんなとの関係が常に変化してきたというか」

こうした香取の発言を聞いていると、中居・木村・新しい地図の3人と、「1人、1人、3人」で道が分れてしまったかに見える現在もまた、SMAPという絶えず変わりつづけるグループの過程のひとつに過ぎないのではないか。
そんな感じさえしてくる。

奇しくも、香取が登場している「週刊文春」の同じ号には、「ジャニーズ血脈支配の曲がり角」と題された特集記事で、ジャニー喜多川社長とジュリー副社長ら創業者ファミリーの不協和音やタレントたちの抱える不安や不満、ジャニーズ事務所の行き詰まりがレポートされている。

ジャニーズ事務所が生き残るために、飯島氏の手腕が絶対に必要というのは、業界関係者の誰もが認めるところだった。
にもかかわらずメリー氏は我が子かわいさで飯島氏を追放してしまった。
その結果がこれだ。

あの騒動で終わったのはSMAPではなく、ジャニーズ事務所のほうだったのかもしれない。